今、目の前にいるこの男はケヴィン・ウォーケン・黒澤大尉という私の元教え子。
少しだらしない格好にクセの強い髪。そしてでれーっとした表情は見ていて呆れてしまう。が、同時に何か別の感情も抱かせる雰囲気がある。
今日、彼は武器格闘の訓練の際教え子にぼこぼこにされて、遂に愛想をつかされたらしい。
彼の教え子の一人が私の元に陳情をしにきたのだ。曰く“彼を辞めさせてください!”と言うものだ。
確かに、あの彼の訓練は中々に理解しがたい物があるんだけど……
彼は正直そこまで無能な人間じゃないはずだ。
訓練校時代も、まぁなんというか……頭の回転がやけに速かったのを覚えている。
その上、彼をはじめ一期生はクセ者ぞろいだったから、今の面々が可愛く見えるくらいだ。
とにもかくにも彼を少し心配した私は、彼を部屋に呼び出した。
問題児を相手に教鞭をとっていたから、少しくらいは協力できるかもしれない。そう思ったからだ。
額のかすり傷に消毒液を吹きかけてぐっとガーゼを押し付けると、彼は情けない声をあげた。
「ぅいててててて! いた、痛いっすよまりもさーん」
少しくらいは我慢しなさい。と私は軽く諌める。
夕呼あたりにやらせたが最後、実験台になってしまうわけだからむしろ感謝してほしいくらいね。うん。
とにもかくにもいきなり本題に入ってしまったほうがいいかもしれないわね、と思った私は早速言葉を始める。
彼の性格上優しく言うより突き放すように言う方がベターなのは経験から知っている……ってなんだか悲しい気がしないでもないわね。
私はため息をつきながら彼に問いかける。
「……はぁ。いい加減真面目にやったらどうなの?」
ケヴィンはそれを聞いて一度鼻息をふんーと吐き、今度は私にこう言ってきた。
「真面目にもなにも……あいつら強すぎですよ。それよりまりもさ〜ん。傷口を舐めてほし、ギェァ!」
とりあえず平手で彼の背中……擦り傷のある所を少し遠慮しがちに叩いたつもりだった。
叩かれると同時に痛そうにもがくケヴィンを見て、少しやりすぎたかしら? なんて考える。
まったく。なんでそう破廉恥な事をひょいひょい言うんだろう。
……顔が赤くなっていないといいけど。
「マ、ママ、まりーもサン! 背中痛いの知ってるでしょウガー!」
はっきりと聞き取れなかったんだけど、何を言っていたんだろう。
とりあえず手当てに使ったスプレーとかを救急箱にしまっていく。
ちら、とケヴィンの顔を見ると何やらにやけた顔をしている。
少し戒める意味も込めて私は、榊が陳情しに来た事を伝えようとした。
「あ、ちょっと待ってください。歯を磨いてきま」
最後まで聞く必要はないわね。すっと手を上げる。
“最後まで言ったらオシオキよ?”
という意思表示を察してか、彼は途端に黙りこくった。
私はそのまま考えていた通り話を進める。
「何を言ったのかは知らないけど、榊が陳情しに来たわよ? ……あなたを解任するよう掛け合ってくれって」
あの時の榊の形相はまさに鬼気迫るものだったわね。
……正直なところ、私に掛け合われても通じないとは思うんだけど……
「ま、しょうがないっすね。嫌われ上等、蔑まれ上等ですよ」
そういいながらケヴィンは頬の剥がれ掛けたガーゼを指で直している。
意外ね。絶対何か黒々した物を溜め込んでると思ったのに。
だからなおさらケヴィンのその緩々とした態度にこの日何度目かのため息が零れる。
「……ふぅ。どうあっても真面目にやる気はないの?」
心外だ。というような顔で彼は反論してきた。
彼特有の、緩々とした口調で、だ。
「A分隊の弱点はチームワークにあると思うんですよ」
……なるほど。彼は彼なりにそこに行き当たったのね。
「ただチームワークって“チームワーク良くしろー! 皆仲良くはっぴー☆”なんて言ったところで良くなるもんじゃないでしょ?」
たしかに、これは彼の言うとおりだ。その事は……彼を含む、第一期の面々が証明してくれた。
「んで、憎まれ役が必要かなーと。あ、手を抜いてる訳じゃないっすよ? 毎日毎日ボコボコにされてるし、そもそも本気になっても下手すっと勝てませんから。ならわざわざ勝ちに拘る必要もないし」
あっけらかんと言ってのけるケヴィンに対し、変わっていないのね、と言いそうになって口を噤む。
昔からこうだった。自分を大きく見せたがらないというか虚栄心がないというかそんな感じ。
私は彼が教え子だった頃、そこを長所のように感じていた。
「あーっと、なんて言うのかな……“教官がダメならあたしたちで頑張るしかないわ! 千鶴負けないッ!”みたいなのを期待してるんですけどねー」
ああ、なるほど。彼は不器用なりに教え子たちを少しでも無事に生かしてやりたい、そう考えているんだな。と私は何故か思った。
その為だけにこんなに傷だらけになるなんて……しょうがないわね。とこっそり心の中でほくそ笑み、なるべく彼が調子に乗らないように褒める。
「……あなたが馬鹿なのは昔からだけど。それなら予め何か言っておくべきだったんじゃないの?」
「まさか。俺がそんなめんどくさい事する訳ないでしょう?」
ああ、この答えは本当に彼だな。と私は思わず苦笑した。
彼が部屋を出た後、少し昔のことを思い出していた。
彼が、私を“まりもさん”と呼ぶようになった時の話。
私は目を瞑り、あの日のことを思い出していた。
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「……お前は正気か? ウォーケン訓練兵」
突然訓練の最中に、ウォーケン訓練兵が私に対し提案を持ちかけてきた。
内容は至極単純明快で、私がウォーケン訓練兵と武器格闘をし、勝った方が負けたほうの指示を聞く、というくだらないものだった。
無論私はそんなくだらないことに付き合うつもりはない。
何せ、このウォーケン訓練兵は他の面々に比べて全ての面で劣っている。
と言うよりも全ての訓練においてやる気が大きく欠落しているのだから、教官として生きようと考えた私にはたまったものではない。
「あれあれ? 神宮司教官。まさかビビッちゃってます?」
他人の神経を逆なでするのが、本当に好きな男だ。
「……わかった。ただしウォーケン訓練兵。覚悟しろ? ……本気で行くぞ」
こんな男を守る為に自分の部下たちが散って行ったと思うと悔しさで涙が出そうになる。
この日の晩に、この男の口を塞いでやる。私はそう意気込んでいた。
何度目かの切りあいの末、地面に倒れこんだのは私のほうだった。
正直、たかだか訓練兵だと思って高をくくっていたのが失敗だったかもしれない。
どれだけ攻撃を仕掛けても一向に倒れないのだ。
そして十数回目の打ち込みで私は悟ってしまった。
この男は“故意に急所を外していながら攻撃をくらっている”のだと。
そう察した瞬間、私は膝をついてしまっていた。
肩が大きく上下し、木剣を持っていた手は彼を打ち据え続けた事によって握力を失っていた。
「い、つつつ……どうしたんすか? もうおしまいで?」
声には未だに余裕を感じられる。
それが、私のプライドを粉々にした。
「わたしの……負けだ……」
――勝てない。
私の経験がその事実だけを語る。
その気になれば、私は今頃ボロボロにされて打ち捨てる事ぐらい難なくやってのけるだろう。
「はぁ、助かった……もう少し粘られたらなんもできなくなるトコでしたよ」
どさ、とその場に尻餅をつく。
「私を馬鹿にしているのか? まだ余力を残している者が良く言う」
「いや、これは本当の事っすよ。俺、避けるのは自信あるけど攻撃の方はからっきしで」
そう言って苦笑する。
その表情からは……嘘の雰囲気が見えてこない。
「あれだけ攻撃を避けられるなら、攻撃も」
「いや、避けるっていうかあれは……なんつーのかな。致命傷? になりそうなのは身体が勝手に避けるんですよ」
そんな冗談を言いながら、どっこいせと立ち上がると私に手を差し出す。
痣だらけの手。
「さーて、と。じゃあ、約束どおりいう事を聞いてもらいましょうかね」
ニヤニヤとしながら私を引き起こすと何やら考え始める。
その間、私は死刑宣告を待つ戦犯の気持ちはこんな物なのだろうか? と人事のように思っていた。
よし、そうしよう。等といいながら、私の顔を覗き込む。
「今後は神宮司教官じゃなくて……まりもさんって呼ばせてくださいよ」
いつものへらへらした雰囲気ではなく、真面目な顔でそんな事を言ってくる。
顔が赤くなっていないか。それだけが気がかりだった。
「……お、公の場ではちゃんと呼べ。それ以外でなら……構わない、わ」
それを聞いてにんまりと笑う。
「お、お、お? なんかイイ。イイっすねぇ。あ、そうだ。まりもさん。俺のこともケヴィンって呼んでくださいよ。ウォーケンだなんて他人行儀な」
た、他人行儀も何も、私と貴様は他人だろう! と言おうと思って私はさらに動転する事になる。
「んむっちゅーむ。ついでにキスミー!」
唇を突き出すこのバカに、私は力の入らない手でケヴィンの頬を平手打ちしてやった。
口から謎の液体を吐き散らしながら昏倒するケヴィンを見て、私はまたため息をついていた。
全く、コイツは一体なんなんだ……
それからと言うもの、ケヴィンは私に事あるごとに何か話しかけてくるようになった。
訓練中はもとより、訓練が終わり夜にくつろいでいる時にも平気でやって来る。
「まりもさーん」
「ま〜り〜もさ〜ん」
「まりもさぁぁぁん」
実際は、嬉しい。教え子に慕われて嬉しくない教官は、多分いないだろう。
でも、それとコレとは……
「ねーねー、まりもさん。俺今日結構頑張ってたでしょ? なーんか御褒美」
「……な」
ふるふると震えながら私は声を絞り出す。
「? どうしたんす「私を、まりもさんと呼ぶなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
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はっと私は目を開ける。
時間は……いつの間にか12時を回っていた。
眠って、いたみたいね。
少し頭を振って意識を呼び戻す。
それにしても……本当に懐かしい夢。
まだ教え子たちと一線を隔てていた頃だったと、思う。
あの頃からケヴィンは少しも変わらない。
未だに私を“まりもさん”と呼んで、時に私をからかうような時すらある。
まったく……
「あれほど、まりもさんって呼ぶなって言ったのに」
そう言って私は何となく微笑んでしまう。
……恋するオトメでもないのに、ね。
「はぁ、まるで恋する乙女ね……」
そんな一言に、私は思わず飛びのく。
な、なに!? なんで、なんで貴女がここに……
「いいわ……いいわよぉまりも。今の少し頬を赤く染めながら“まりもさんって呼ぶなって言ったのに”ってもう一回いいなさい」
うそ、さっきの聞かれてた!?
それよりも、それよりも……
「あの、夕呼。貴女いつからそこに?」
唇に指を当てて少し考えた後夕呼はステキな笑顔で
「あら。ケヴィンが出て行った少しあと位から中に忍び込んでたわよ? 起こそうと思ったんだけどねぇ、あんまりにも幸せそうに寝てたから……しかも、おきてすぐにアレでしょう? ……ああ、もう、ゾクゾクしちゃうわ」
頭の中が真っ白になる。
「まりもぉ。アタシもこれからまりもさぁんって呼んであげましょうか?」
これから暫くの間、私は彼女のオモチャになる事が虚しくも決定してしまったようね……
今後余裕があったら、ケヴィンを一度オシオキしなきゃいけないわね。
やつあたりなんだけど。