*********** 香月夕呼 ************
まりもが蒼白な顔で部屋を出て行ったのを見て、私はまた革張りの椅子に身体を預ける。
ぎしっと椅子は軋みながらも私をしっかりと受け止めた。
PCに目を戻すと、私はFD挿入口に古ぼけたFDを入れる。
少し耳障りな音を立てて、データを読み込んでいくPC。
目を閉じて、少し気分を落ち着ける。
「――今日は、流石に疲れたわね……」
もう、実験体はいないはずだった。
しかし、現に“彼”は実験体の、それもかなり後期型と遭遇し、さらには戦闘行為までしているのだ。
これはどういう事なのか。
答えは恐らく一つしかない。
「……もう一つの、オルタネイティブ4……」
夕呼の中で組みあがりつつあったある仮説。
――私のオルタネイティブ4と、オルタネイティブ5以外の“何か”が動いている。
そして、その計画の首謀者を、きっと自分は知っている。
自分の認める、数少ない人物。
しかし、あと一つ。決定的なピースが一つ欠けている。
けれどこれで、恐らくは……
FDのデータを読み込み終えた。暗号化された文章をPCで解析する。
程なくして、0と1だけの文章が解析された。
それとほぼ同時に私の中で欠けていた最後のピースが当てはまった。
間違いない――これが……!
*********** エリー・ミシェル ***********
「……愚か者が……」
眠っているケヴィンを見た少佐の第一声はそれだった。
いつものような厳しい目で、少佐はケヴィンを見下ろしている。
けれど、その手を強く握り締めているのを私は見逃さなかった。
――本当に、今はヴィーがいなくてよかったと思う。
ああ見えて、本当は寂しがりやで甘えん坊だから。
きっと、平静でいることはできないだろう。
今、ケヴィンは白いベッドに横になっている。
いつもどおりの顔色。規則正しい呼吸音。
のはずなのに。
ケヴィンの身体からはいくつものチューブやコードが取り付けられていた。
今、これらを引き抜けば、幾日後かに彼は死に至るだろう。
それ程に、今の彼は不安定な状態にある。
ケヴィンの治療を行った医師が私達に告げたのは、できれば聞きたくない言葉だった。
「脳に、何らかの障害があるかもしれません。意識が戻ったとしても……衛士としてまた前線に戻ることは不可能でしょう」
思わず私は下を向いて唇を噛む。
「……命は、助かるんですね?」
「……はい。ですが……ケヴィン大尉の普段からの行動等を鑑みるに……何らかの罰則を受けるのは……」
――そう、だった。
ケヴィンは、いや。私達マンバ隊は元々吹き溜まりの不良集団だ。
中でもケヴィンは、銃殺刑にされそうになった事があるから……軍から抜けるとなればなんやかんやと本国の、あの少将が黙ってないだろう。
「……こいつは俺の部下です。それは、こいつがくたばるまで変わりません」
いつものように、少佐は言葉をつむぐ。
その背中は、相変わらず大きくて。
「下手をすれば貴方も命令違反で」
「そんな事はこいつを拾ったときに覚悟はしていました」
聞こえてる? 見えてる? ケヴィン。
少佐が、こんなにも気にしているのが。
だから、だからケヴィン。
早く、目を覚まして。
私の言葉が届いたかはわからない。でも、僅かに脳波を表すモニターに反応があったのを私は見逃さなかった。
************* ??? *************
革張りのソファに腰掛ける。
何も言わずとも酒とタバコが俺の前に運ばれてきた。
「鉄心様。お疲れ様です」
ぴっちりとスーツを着込んだ女が手に氷の入ったグラスと、FDを持って俺の元に歩み寄る。
「……今回の横浜じゃぁ中々収穫があった」
ぐいと女を抱き寄せ、思うままに唇を蹂躙する。
――女はいい。
こんなくだらない浮世だからこそ酒と、薬。それに美女が必要だ。
まぁ、それを別にしても楽しみの一つや二つはなけりゃあならん。
それが、彼の信条だった。
「はぁ……鉄心様……お慕いしております……」
こいつも、そろそろ鬱陶しくなってきた。
部下の何人かが欲しがっていた事だし、そろそろ変え時かもしれん。
それに、もっといい女を見つけた事だしな。
胸ポケットに入れていた小瓶から錠剤をを二つ取り出すと、それを口にほうりむ。
それを女は期待に満ちた目で見つめていた。
(ふん。所詮はただの雌か)
ぐいと顔を引き寄せ、女の口の中に、自分の口内の錠剤を移す。
「あぷっ……あ、あぁぁ」
口を離すと女は声にならない声をあげた。
その様を見ながら、男――雑賀鉄心は思う。
(それにしても……あいつがあんな風になるとはな……まぁいい。今からでもどうにでもなる。どうにでも、な)
********** 神宮司まりも **********
「よしっ! 総員カカレッ!」
私の号令とほぼ同時に教え子達が無人島を駆ける。
今日は彼女達の総合演習の日……本来なら私に惚けている時間などないはずなのに、今一つ身が入らない。
……教官失格、だな。
人影が見えなくなったところで、私は小さくため息を吐く。
「まりも君、どうかしたのかい?」
元教え子で現上官という少々複雑な立ち位置にいる男が私に声をかけてくる。
……名前で呼んでいい、なんて一言も言っていないのだけれど。
「なにか、辛いことがあったのならこのロメオ・ジョシュアに言いたまえ? ……この私こそが、貴女の力になってやれる」
手を掴まれそうになったので私はすいとその手を避ける。
「私は涼宮班の目標ポイントに向かいます。では、これで」
何かを言いたそうな彼を放置し、私はボートに乗り込む。
キーを捻るとスロットルを開け、私はボートを走らせた。
丁度私の心の正反対といえるほど波は穏やかだ。僅かなゆれを感じながらも私は思う。
……あれから、二ヶ月経っている。
けれどもあの日以来、彼は一向に目を覚まさない。
それでも、淡い期待を抱く自分の影で暗い考えを抱く自分がいる事実に私は歯噛みしていた。
(ま、まりもさん! 俺、まりもさんの事が……)
彼の顔が脳裏をよぎる。
(……お前が望むなら、また、愛してやるぞ……?)
そして“あの男”の顔がふとよぎってしまった。
ぶんぶんと頭を振る。
――今は、総合演習にだけ集中しよう。
気を引き締めながら、私はまた前を向いた。