ここに来るのは随分久し振りだ。

 ぐっと身体を伸ばして窓の外を見るとスクランブルエッグのようになった町が静かに佇んでいた。

 なんだ? あれを見てると苦しくなる。それにあれを見ていると……嫌な過去ばかり思い出されて駄目だ。

 あー、まずいな。気持ち悪くなってきた。今までこんな事そうそう無かったのに。

 ぐわんぐわんする頭を振ってようやく意識が覚醒する。って言うより白昼夢から目が覚める。

 うへ、嫌だね。ジメジメしたのは嫌いなはずなんだけどな。

「ケヴィン大尉。お忙しいところ申し訳ありません」 

 俯いた俺の頭に誰か、若い女性の声が聞こえてくる。

 懐かしい、あの優しい声。

 俺が顔を上げると、栗色の髪を腰の辺りまで伸ばした女性が立っていた。

 軍服の階級章は軍曹を表している。

 元、俺の教官。ついでに言えば、俺がなんだかんだで頭の上がらない人物。

「いやいや。忙しいどころか遅刻してさっき元隊長にぶん殴られたところっすよ、まりもさん」
 
 にぃっと俺は顔が思わず緩む。

 まぁ、昔は色々頭にくる人だったんだがな。

 今じゃ腹を割って話せる数少ない人物だ。

 周りに誰もいない事を確認したのかまりもさんはため息をつく。

「周りに誰もいなかったからと言え……仮にも人の上に立つ地位にいるんだからもう少し注意したほうがいいんじゃない?」

 そう言って苦笑するまりもさん。

 くぅ、いいね! なんか凄くいい!

 もう思春期真っ盛りだったあの頃に戻りたいね!

「まぁまぁ。俺とまりもさんの仲じゃないですか〜」

 そんな俺を呆れたような顔で見つめるまりもさん。

 うーん、懐かしいな。

 訓練生だった頃はもっと殺伐? としてたけど。

 俺も何となく大人になったって事なのか。

「それよりも今朝は本来実技演習をするはずだったんですが。大尉殿の到着が余りにも遅かったので仕方が無く自習という形にしたんですからね」  

 うわ、ここに来て嫌味かよ。

 こんどは俺が苦笑しながらまりもさんに答えた。

「んな事言われても、俺だって今朝ここに来るように言われたんだぜ?」

 まぁ、そのお陰で久し振りにまりもさんと話す時間が手に入ったって訳だが。

「じゃあ、とりあえず……早速で悪いんですが射撃場の方に向かっていただけますか? 大尉」 

 ふっと雰囲気が変わってまりもさんから神宮司軍曹の顔になる。

 目が“いいから自分に合わせろ”と言っている様な気がした。

 それに俺としても、なんだか嫌な予感がしたのでそれに合わせる事にした。

「了解した神宮司軍曹」

 俺がそれだけ言うと、まりもさんは敬礼する。

 俺もまた敬礼で返すとまりもさんに背を向けた。

 ――うわ、最悪の奴に会っちまった。

「待ちたまえケヴィン大尉。上官に会ったのに素通りする気かな?」

 ニヤニヤしながら俺を見るのは……多分史上最低の下衆野郎。

 訓練校時代から犬猿の仲だったんだが今じゃ権力なんて物を手に入れちまったからなぁ。

 俺とは同期のはずなんだが今じゃあ佐官クラス。

 出世組の筆頭って訳だ。まぁ、親父がお偉いさんっていうのもあるんだろうが。

「いえ、申し訳ありません。自分もここの所視力の低下が著しくて困っているところです」

 男は腕を組んで俺を見下すように見やる。

 うわ、思いっきりぶん殴りてぇ。

 ふーっと大げさにため息を吐きながら男は口を開く。

「あー、やれやれ。まったく君は。次からはこの基地、いや、世界の次代を担うこのロメオ・ジョシュア中佐に」

「了解しました。次回からは気付く範囲で対応させていただきます」

 コイツと話してると気分が悪くなってしょうがない。

 とっとと退散するか。俺はとりあえず戦域離脱を試みる。

「はぁ、神宮司軍曹も大変だねぇ。彼のように無能な男と話していると疲れるだろう?」

 いやらしい笑みを浮かべながらまりもさんに近寄るロメオこと下衆男。

 畜生。こいつどうしてくれよう?
 
 むしろ出すなら食堂のおばちゃんに手を出せ。止めないから。

 そんな俺の憤りやら心配を他所にまりもさんは手馴れた風に下衆男をかわす。

 むむ、なんか出る機会が無い雰囲気だぞ?

 ふとまりもさんと目が合った。

 早く行け、と言っているような視線。暫く考えた後に、下衆男を完全に手玉に取ったまりもさんを見てから、俺は仕方なくその場を離れた。


*************


 にしても、だ。

「相変わらず変わってねぇなぁ。ここは」 

 春真っ盛りのはずなんだが、既にどこか夏の雰囲気が漂っている射撃場をぐるりと見回すが数年前と比べても殆ど何も変わっていない。

 軍服の上着を脱いで腰に巻くと少し荒れた地肌の遥か向こうにあるターゲットを見る。

 ゆらゆらと陽炎が浮かんでいた。そんな俺の視界に飛び込んできたのは緑一色とは言えないが、それでもこの御時世にしては珍しい雑木林だった。 

 そういや、良くまりもさんにどやされて腹が立つとあの雑木林行ってたなぁ。

 懐かしい気持ちになって、俺は射撃ポイントのすぐそばにある雑木林に入って行く。

「あーっと……どこだったかな……お、あったあった。すげぇな。まだ残ってたのかよ」

 訓練生時代にまりもさんにバレないように彫った傷。

 まぁ、内容は検閲に見つかれば問答無用で消されそうな単語のオンパレード。

 俺も若かったんだね。

 ……しかし……なんていうかあの頃はどうしようもないくらいへこんでたからなぁ。

 ……取りあえず削っとこう。誰かに発見されてまりもさんに密告されたらどうなるかわかったもんじゃない。

 ガシガシガシ……ゴリゴリゴリ……

「なーんか、こう青春のメモリーを消すのはなぁ〜」

 ガシガシ……ゴリゴリ……

「でも、この分だと青春より性春のほうがあうよね」

 ガシガシ……ゴリゴリ……

「だなぁ。こんな卑猥な字を見せたらまりもさんが狂犬になるのが目に見えるぜ」

 ガシガシ……ゴリ……ゴ……

「哀れ、全治三ヶ月モード。たいへん、たいへん」

 ガ……シ……

 待て。おかしいぞ? 俺は何故幻聴と会話しているんだ?

 いや、百歩譲って俺の精神に異常をきたしているとしてだ。

 誰だこの娘は? あ、そうか。幻覚?

 むい、と幻覚の頬を突く。確かな手ごたえと温もり。

 抵抗こそしないものの、その顔は凄く嫌そうだ。

「誰?」 

 さっぱりと切られた髪。深い色を湛えた瞳。そして何より 

「きずものにされた」

 何事だ。このけしからん乳は。

「いや、落ち着け」

 ここで下手に騒がれれば俺の命に関る。

 この娘が騒いで誰か――今この場ではまりもさんだが――が来たとして完璧に消えきっていないこの青春のメモリーを発見されたら。

 まず十中八九血の雨が降る。むしろ俺が発生源になるのはまちがいない。

「とりあえず、落ち着いて聞いて欲しい。俺はこのけしからん文を見て義憤に」

 おい。何故ここで耳を塞ぐ?

「洗脳される」

 耳を塞ぎ、目を瞑った娘の表情は良く読めない。

 所謂“何を考えてるか微妙に良くわからない”感じだ。

 と言うよりも俺が初対面の娘っ子を洗脳するような悪人に見えると言うのか!?

「よ〜し〜お〜ま〜え〜を〜せ〜ん〜の〜う〜す〜る〜ぞ〜」

 取りあえず悪人になりきってみる。

 凄い勢いで悪人だ。

 娘っ子の頭をストトトトトと指で突く。

 物凄い勢いで娘っ子の身体から噴出す不機嫌エナジー。

「フーハハハァー! やめて欲しければ俺の言葉を聞くがいい!」

 段々調子に乗る俺。

 どうしよう、ちょっと面白くなってきたぞ?

 上手く行けばこのまま記憶を奪う事も出切るやも知れん。

 まぁ、冗談は置いておいてもさすがにここまですれば何らかの反応をかえすだろ゛ッ!?

 娘っ子の左手が一瞬耳から離れたと思ったら俺の腹に叩き込まれたようだった。

 重ッ! 重痛ッ! この娘っ子物凄い左を隠し持ってたよ!

「成敗」 

 ぐ、ぐぉぉぉぉ……色々と言いたい事があるが何も言えん……!

 この怒り、どこへ向けるべきか……!

 そんな俺の怒りを知ってか、射撃場の方面からがさがさと人の気配。

「彩峰。いきなりこんな所に駆け込んでどうしたのだ……!?」

 子犬の表情で助けを求める俺。

 タ ス ケ テ 

 おお、俺の心の声が通じたのか?

 沈痛な表情で女の子が近づいてくる。

 長い髪、凛とした佇まい。

 そして負けず劣らず我侭な乳。

「大事無いか? 何があったのか説明するがよい」

「げふっ。お嬢様。先程そこな娘に電光石火の裏拳を食らってしまい……もはや立ち上がることもままなりません」 

 俺の言葉に一瞬顔を強張らせた後、本当にすまなそうな顔で俺に手を差し出す。

「許すが良い。その者も、その、決して悪気があったわけではないのだ」

「……御剣。私はそいつに傷物にされた……」

 一瞬ぴしっと空気が固まる。

 御剣と呼ばれた女の子の表情が少しづつ変わっていくのがわかった。 

 これは、良くない。非常に良くない流れだ!

「……彩峰。どういうことだ? 傷物にされたとは?」

 彩峰なる娘っ子はひしと御剣の胸に飛び込んで語る。

「あいつが体力的に勝っているのをいい事に、決して子供には言えないようなあんな事やこんな事を……」

 よよよ、といった感じで助けを求める彩峰。

 御剣の目が煌く。

 頬は真っ赤に染まっているが、全身から立ち上るもう色んな負の感情が怖いよ。

「暴力イケナイ!」

 俺の必死の抗議も虚しく御剣がぎゅるっと身体をねじる。

 次の瞬間、光を越えた拳が俺を襲う!?



「……このっ、不埒者がッ!!」



 拳が着弾する直前、俺が思ったのは

 ああ、雑木林になんか入んなきゃ良かった。

 と、そんなどうでもいいことだった。





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